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VOICE 2021.08.25

地球っ子教室  | スタッフ・支援者の座談会

VOICE|地球っ子教室 : スタッフ・支援者の座談会(1)」~ALIVEプロジェクト参加前~

地球学校に現在通っている方、過去に通ったことがある方、地球学校で活動している方から話を伺うインタビュー企画、VOICE。
今回は「地球っ子教室」スタッフ・支援者の座談会(1)~ALIVEプロジェクト参加前~です。

ALIVEプロジェクト…異業種混合型若手リーダー開発プロジェクト
地球っ子教室…外国につながる子どもたちを支援するNPOの事業


この座談会は2020年9月19日、地球っ子教室が毎週開催している土曜教室の前に、かながわ県民センターで、ソーシャルディスタンスに留意して行いました。
地球っ子教室を立ち上げた辻、スタッフの押野・吉田、支援者の志賀・横井・横山、計6名が、自分と地球っ子教室について語った記録です。聞き手は、地球学校の理事長兼広報として地球っ子教室を後方支援する丸山です。

 

地球っ子教室を立ち上げた原点とは


【写真】辻 雅代(つじまさよ):地球っ子教室担当理事地球学校の事業として2003年に地球っ子教室を立ち上げる

 

- 辻さんがそもそも地球っ子教室を始めようと思ったきっかけや思いを聞かせてください。

(辻) 地元で外国につながる子どもたちの教育指導員(※)をやっていました。子どもたちと接しているうちに、教育の機会が与えられていない子どもたちがいることは日本社会にとっても「もったいないな」と感じました。地球学校では当時、大人相手の有料の日本語教室しかなかったけど、子どもの教室もしたい!って声を挙げたら、「やってみよう」と数人が賛同してくれたんです。それで2003年から始めました。

   ※逗子市教育委員会臨時職員として参加。学校長が教育委員会に派遣を要請→その学校に行って子どもの日本語指導を行う

(丸山) そうでしたね。辻さんと私は日本語教師の養成講座を(1996年に)一緒に卒業した仲ですが、辻さんは当時から、成人相手より子ども相手の日本語教育に興味があったんでしたよね。

(押野) それは姪っ子さんや甥っ子さんが外国で育っていることが動機でもあるよね。

(辻) そうそう。私の姉がアメリカに住んでいて子育ても向こう。その子どもたちはアメリカで育っています。それに私の母は、戦前韓国が日本占領下にあった時に、ソウルで生まれて終戦まで韓国で育っていて、日本とは違う国の話を聞いたりしていました。

(志賀) 辻さんは当事者だったんですね。それは気持ちが違いますよね。よく熱い気持ちのまま20年も続くな~と思っていたんですが理解できました。

 

一人ひとり違う始まりの想い

 

- ほかの皆さんも、地球っ子教室にかかわりはじめたきっかけを教えてください。

(吉田) 2010 年の秋、近所の中学校内のコミュニティハウスで中国語を習っていました。その中学に日本語がわからない中国の子が来たので日本語を教えてほしいというお話があって、中国語を習っている仲間数人で校長先生に話を聞きにいきました。

すると、日本語がわからない状況で教室にいてもらうのは心苦しいとのこと。週3回、午後、国際教室のある学校に通っているので、午前中の国語や社会の時間に来て日本語を教えてほしい、ということでした。日本語教師の資格は不問というので、じゃあ、可能なかぎりやってみます、と始めたのが最初です。

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【写真】吉田涼子(よしだりょうこ)地球っ子教室スタッフ

子ども本人は、ひととおり中国で日本語を勉強してきたとは言うものの「全然わからない」という状態。わからない日本語が飛び交う教室に長時間居させるのがすごく嫌で、中国語を介して接する支援者がいることで生徒の不安を取り除きたいという、校長先生の熱意に私は負けました(笑)。

でも、その子は、そんな校長先生がいる中学校でラッキーだったと思います。実はこの時に、日本語がわからないまま通学する子どもたちの存在を初めて知りました。探してみると樋口先生(※)の連続講座が県民センターであって、そちらで外国につながる子どもの学習支援について学び、そこから地球っ子教室を紹介されて今に至ります。

  ※樋口先生=樋口万喜子氏。特定非営利活動法人 日本語・教科学習支援ネット代表。現在は地球っ子教室の運営委員でもある。

 

(参考)毎年開催中の「外国につながる子どもの学習支援者養成講座」は…地域活動に興味を持ちながらも未経験のため参加を躊躇されている方のために、具体的な道すじを示し誰もが共助社会の一員になれることを実感してもらうことを目的としています。ブラッシュアップにも役立つよう実際の教え方なども、ワークショップ形式で体験できます。

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【写真】押野成美(おしのなるみ)地球っ子教室スタッフ

びっくり~私も(吉田さんと)同じときに樋口先生の講座に出ていたことを今、知りました。私は前職が保育士です。いったん区切りをつけて次の人生を熟考した結果、「ことばと子ども」がキーワードでした。まずは日本語を教えるボランティアになって、そのあと日本語教師養成講座の学校に入りました。

修了したのが2011年3月。3.11のときです。何も日本語教師の就職先がないとき。そのとき、学校の隣のビルで地球学校が活動していることを知ったことからかかわることになりました。地球っ子教室より日本語教室のレッスンのほうが先でしたね。

 


【写真】横山咲子(よこやまさきこ)地球っ子教室支援者

私も最初は日本語教室のほうで日本語教師として参加していました。その活動をしている中で、私にもできることがあるかな、と地球っ子教室にも参加しました。もともと子どもの言葉にも興味があったので。日本語教師養成講座で学んでいたときも、第二言語だけじゃなくて、母語の習得にも興味がありました。生まれたばかりの子どもが言葉を使えるようになる過程とか。

私自身も子どもが二人いて、上の子は幼稚園から小学3年生までを海外の日本人学校に通っていました。海外にいても学校や家庭で日本語に触れる時間は長かったので、ぜんぜん心配してなかったんです。でも、帰国したとき、言葉がすごく遅れていると気づきました。

その後少しずつキャッチアップして今は普通の日本人ぐらいにはなりましたけど。言葉を習得する時期を海外で過ごすと、日本人学校に通っていても限界があるんだな、と感じました。その時期を日本で過ごしているお子さんは学校、家庭以外にもTVとか街頭や駅や…常に日本語のシャワーを浴びて育っているんですね。小学校4年生になると、抽象的な言葉が出てくるんですが、たとえば、促す、育む、とか。そういう言葉もぜんぜんピンとこないようでしたね。

下の子は1歳になる頃、話をするのが遅いかも、という悩みがありました。子どもの言葉のおもしろさ、母語をどのように習得して社会に出ていくのか、ということに興味がありました。それで地球っ子教室に、たくさん参加はできないけれど、できるときに参加してみたいなと。

 

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【写真】横井孝夫(よこいたかお)地球っ子教室支援者

2019年6月だったかな。60歳近くなってきたとき、定年後どうしようかな、といろいろ考えて日本語教師をやろうかな、と資格をとりました。だけど、まだ今の仕事もあるし、でも何もしないと勉強したことを忘れてしまうから機会がほしいな、と探して、日本語教師として地球学校へ入りました。

そのあと、なんで地球っ子教室にも参加したかというと、それまでの仕事で外国人と接することも多かったんですが、30歳前後の働いている外国人に日本語を教えるようになり、その人たちの子ども世代の将来がちょっと心配になってしまったからなんです。義務教育をうけるようになったときに日本語ができないことはとても大きなハンディキャップになるし、その結果、日本社会の一員として自立することが困難になるかもしれません。そうならないように何かできればと思っています。

地球っ子教室では、どうしようかな~と、いつも試行錯誤している状況です。自分には娘がいますが、手がかからない子で、怒ったこともないんです。娘の言うことを何でも聞いていたからかもしれませんが(笑)。おもしろいもので、そうすると子どもは「これ買って、これほしい」って無理を言わなくなるものなんですよね。ということで、いまここで子どもと、改めて接している、そんな感じかな~。

 

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【写真】志賀さゆり(しがさゆり) 地球っ子教室支援者

30年前、子育てしながらできる仕事をと思って日本語学校へ行きましたが、そのころは教えるスキルや資格がなくても教えられる時代。それで教えていたけど、そのあと入管法や資格など、厳しくなっていきました。それで仕事がなくなって、これからは英語だな、と思って英語の翻訳をしたりもしました。

その流れから学習塾で英語を教えることに。しかも進学塾。経済的に恵まれている子どもたちが対象だったんだけど、幸せかというと、そうでもない。話をして、触れ合っていると、子どもながらに、モノは与えられているけれど…ね。子どもの心に触れる経験をしました。「親に言われるから」「しょうがないから勉強してるんだ」みたいなことに触れる、そういう経験を20年近くしましたかね。

日本人相手もいいけれど、もともと外国人と接することが多かったし、好きなので、外国につながる子どもと触れ合いたい、何かボランティアができないかな、と考えるようになり、5年前に地球学校へ。東京にも同じような場所はあるけど、横浜のほうが家からは近いから、東京在住だけれど神奈川で活動しています。

 

初めて参加した日の驚き、今も忘れられない心の痛み

 

 地球っ子教室に参加してきた中で、記憶に残っていることを教えてください。

(吉田) 最初は教室の人数が多かったですよね。見てほしいと最初に言われた子が音楽を聴いているイヤホンを外さなくて…「ちょっと待って?!」って、びっくり。初めてだったし、どうしようかと思った(笑)。

漢字王決定戦のイベントを見学したときも、人数が多くて、私にできるかどうか不安だった。そのころは支援者の数がほしいときだったと思うので、ま、それなら私にも何かできるかな…と。

それが 2010 年秋。そのあとすぐに 3.11 で、翌日、何人もの親御さんに電話をしたり、で大変でしたよね。あんなに多かった子どもがどんどん減って、一対一で対応する日が増えました。ボランティアのほうが余る日もあったかな。

そのうち、また子どもの数が増えました、よね。多い日だと 35 人を超えたりして。なので、 コロナ禍の今の子どもの少なさには驚くしかないですね。 昔も今も、もともと母国で勉強する習慣がなかったのかな、という子には悩むことがあります。どうしたらいいか、教えてもらったりしています。自信がなくなるときもあるけれど、「子どもの支援は子どもにどれだけ寄りそう気持ちがあるかが大切」と励まされて、今も続けています。

 

【写真】話す人以外はマスクをつけての座談会(左:吉田、右:押野)

 

(押野) いまだに胸が痛むことがあります。ふだんから子どもの様子を見ていると、おもしろくない、やる気がなさそうな子が、たまにいますよね。いつも、ただ座っているだけで、だれともコミュニケーションをとらない小学生がいました。家族の中に日本語を話せる人はいなくて、連れてきてくれるおばあちゃんにいろいろ聞いても家庭の様子もよくわからなかった。

いつもあまりにもつまらなさそうなので、この子は無理矢理、来させられているのかな?と思って、お母さんが来たときに「少し休んでみたらどうでしょう」と言ってみたんです。そしたらそのあと、一切来なくなってしまって…。あのときの私の言葉を、どう捉えたのだろうか、と心配になりました。間に通訳してくれる人がいたら、ちがっていたのかな、と。今でも心に残っています。

(丸山) 私も失敗経験が胸に残っています。子どもに親の年齢を尋ねてしまったことがあったんですね。お父さんは日本人で70歳を過ぎていることがわかり、なんとなく気まずい雰囲気になって話を変えたりして…。つい何気なくやってしまいがちなことです。ですけど配慮が必要なことでした。子どもとコミュニケーションをしようと思って質問しすぎてしまったのが反省です。子どもとの距離のとり方は一人一人違うから今も難しいけど、こういった失敗経験は糧になりますね。こんな経験を支援者の皆さんと共有する時間も、大切だな、と感じます。

(志賀) 私が一番印象に残っているのは、教室で女の子たちがケンカしている時期があって、けっこう泣いていましたよね。どうしたらいいんだろう、と思ってね。その子は、きっと子どもなりに、いろいろ考えているだろうから…わかってあげられたらな、とも。何ができたってわけじゃないけれど。地球っ子教室は勉強じゃないところも、ありますよね

(丸山) あ~そのけんか、ありましたね。別のけんかの場面ですが、私も強く記憶に残っています。小学生の男の子同士が殴り合いになったとき、まだ最近かな。まずは二人を引き離して、一人の子を私がホールドして、7階から2階へ移動して、漢字王決定戦のアプリで遊んだりして…クールダウンするのを待ってから教室に合流すると、押野さんが本人と話してくれたのを覚えています。
押野さんは保育士の経験はもちろん、男の子3人を育てただけあって、ああいうときの対応が、本当にうまい!地球っ子教室は人生経験豊富な人がいっぱいいるので心強いですよね。たしか、そのあと両方の保護者に連絡してくれて。私は少しケガをしたほうの保護者の反応にヒヤヒヤしてたけど、「男の子だし、よくあること」と、あっさりした回答だったようで安心しました。

このあと、地球っ子たちがやってきて、土曜教室が始まりました。
当日の様子
FBページ「漢字王決定戦」2020年9月19日

【編集後記】 聞き手:丸山伊津紀(まるやまいつき)NPOの理事長兼広報

地球っ子教室への参加のきっかけ、六人六様で、一人ひとり違って、それぞれに意味があって、もっと聞いてみたいな~と感じました。ちなみに私の場合、昔は子どもが苦手だったので極力かかわらないようにしていたのですが、自分が親になり、わが子が成長するにつれて、外国につながる子どものことが、どこか他人事ではなくなったように感じています。あのころは、ただただ子どもの対応に慣れていなかっただけかな、と。

今回は改めて地球っ子教室の存在意義について考える機会になりました。確かに言葉や教科の学習をする場なんだけど、塾じゃない。もっともっと根本的なこと。子どもには、親でもなく、学校の先生でもない、大人の存在が必要だということです。家庭では保護者も外国で生活することに精いっぱいで気持ちに余裕がありません。日本人の家庭だって働き盛りは同じでしょう。学校では大勢いる子どもの一人として教室で多くの時間を過ごしています。オーバーワークが日常になっている学校の先生を責めることでもありません。地域の大人にできること、地球っ子教室にできることを続けていこうと思います。

土曜教室で一週間に1時間でも子どもと同じ時間を過ごすこと、「ちゃんと見ているよ」というメッセージが伝わること。昔は日本にも当たり前にあった光景、外国につながる子どもたちが自分の国にいたら当たり前にあった日常。そんな場、時間を大切にしていきます。子どもたちの言葉のサポートを通して、学ぶことに主体的に向き合えるよう、根気強く伴走していこうと思います。このことが、インタビューを文字化する過程で何度も噛みしめた今の気持ちです。

 

このあと、この7名で2020年度第二期のALIVEプロジェクトに参加しました。

【写真】ALIVEプロジェクト2020年第2期に答申先として参加

一般社団法人ALIVEが、現役の社会人を対象に、答申先としてNPOなどの社会団体を迎えて取り組む約3か月のリーダーシップ開発プロジェクト。社会団体が抱えるリアルな課題を解決するために、現役の社会人がチーム一丸となって本気のプレゼンを重ねて、採用・不採用の場に臨みます。地球学校は2020年度の第2期に答申先として参加しました。新型コロナウイルス感染症により先行き不透明な状況下のリアルな課題は…

「地球っ子教室が外国にルーツを持つ子どものコミュニティとなり、コロナ禍でも、継続的に一人ひとりの子どもと向き合える仕組みを作る~支援者を、2021年3月末までに100名に~」

地球学校の課題に取り組んでくれた社会人32名は、5つのチームに分かれ、各チームには地球学校のメンバー(押野、吉田、志賀、横井、横山)が一人ずつ参加することになりました。そして、地球っ子教室リーダーの辻、理事長の丸山は答申側として、5つのチームの課題解決に向けたプレゼンを聞き、評価する立場として参加しました。その時々の記録はFacebookページにアップしています。

↓↓↓ クリック

2020年9月14日 ALIVE始動→ FBページ
2020年9月20日 ALIVEセッション1→ FBページ
2020年9月29日 ALIVEセッション2→ FBページ
2020年10月12日 【土曜教室】ALIVE参加者見学→ FBページ
2020年10月17日 支援者の「声を、きく」①→ FBページ
2020年10月24日 支援者の「声を、きく」➁→ FBページ
2020年10月25、26日 ALIVEセッション3→ FBページ
2020年11月21日 【土曜教室】ALIVE参加者見学→ FBページ
2020年12月1,2日 ALIVEセッション4(最終回)→ FBページ

 

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