VOICE|地球っ子教室:20年の歩み(辻雅代さん)
地球学校に現在通っている方、過去に通ったことがある方、地球学校で活動している方から話を伺うインタビュー企画、VOICE。
今回は、今年2023年3月で満20年を迎えた地球っ子教室の歩みを、地球っ子教室担当理事である辻雅代(つじまさよ)さんへのインタビューで振り返ります。地球っ子教室とは、親の事情で日本に来た外国につながる子どもたちの日本語や教科学習を支援するNPOの事業の一つです。
NPOの立ち上げメンバーでもあり、日本語教室の担当理事の経験もある辻さんが、子どもたちのための無料の教室を立ち上げた思いと、これまでの軌跡を語ってもらいました。
– 地球っ子教室は今年20年を迎えたそうですが、始めたきっかけは何ですか?
2000年に立ち上げた地球学校は、大人だけでなく子どもも受けいれて日本語のレッスンをしていました。でも、それは有料のレッスンでした。
そのころ私は日本語教師として教育委員会から委嘱されて学校を回って教える「日本語の先生」をしていました。同じように学校での日本語指導をしていた仲間の先生たちと話していると、学校での支援だけでは十分とはいえないことが話題になりました。まだまだ困っている子が忘れられているんじゃないの? 校外で教えてもらうお金がない子もいるんじゃないの?と。地球学校の内部でも「そういう子どもの助けをしたい」という声が出ていました。
校外での地域の支援教室も、今よりずっと少なかったです。そこで、無料のボランティア教室をしようという方向でまとまり、当時の理事長に相談したら「やってみたら?」と背中を押されて、横浜市の状況調査や事前に必要な準備を始めたんです。
声をかけて参加すると言ってくれた日本語教師は4人、帰国子女だった人があとから入って5人だったと思います。当時の事務方をしていた人が、とても熱心に小学校への広報などで動いてくれました。2002年秋ごろから準備を始め、2003年春休みの教室を初開催したときには、ボランティアとして予想以上に支援者が参加してくれてびっくりしたのを覚えています。
- 最初は、どこで、どのように活動されていたんですか。
場所は今と同じ「かながわ県民センター」です。ただ、今のように部屋をとらず、9階・10階のフリースペースで開催していました。フリースペースは、いろいろな人が利用しています。おとなしく座って2時間過ごす子どもは稀でしたから、子どもがうるさいと言われて7階の部屋を予約することになりました。
時間は午後1時から3時です。毎週土曜日の決まった時間に決まった場所で開くことによって、いつもの時間に、いつもの場所で、みんなに会えるという居場所であり続けることを目指しています。
- どんな人たちが参加されていたんですか。
最初のメンバーはNPOの有料の日本語教室から募集したこともあり、支援者は日本語教師の資格がある人でした。その後、子どもたちと同じ時間を過ごす中で、日本語教師が対応したほうがいい場合もあれば、そうではない場合もあることがわかりました。
来日したばかりの子どもには日本語教師が必要ですが、小学1年生には保育や子育て経験のある人のほうが向いているし、中学3年生には受験指導ができる人のほうが向いています。また、大学生に参加してもらうと、子どもたちの表情がいつもと違うことにも気づかされました。逆に子どもからしたら祖父母のような年齢の存在の必要性も感じました。そのうち子どもが増えてきたこともあり、日本語教師にこだわらず志を同じくする人を募集することにしました。
また、今は支援者の交通費は地球っ子教室からお支払いしていますが、最初は自己負担でした。でも、「長く続けていただけるように交通費はお支払いする」という初代理事長の上原さんの言葉に支えられて、今も続いています。現在、地球っ子教室を開催するために必要な交通費や部屋代などの教室運営費用の多くは、みなさまからのご寄付に支えられています。本当にありがたいです。
参照▶「寄付する」(https://chikyu-gakko.org/donation/)
【写真】2005年4月発行の会報誌
地球っ子教室と子どもたち
- 今の地球っ子教室は1対1の担当にこだわらず、参加人数が多い場合はグループ学習にしたり、担当の支援者が交代したりしていますね。
はい、それは最初からそうでしたね。1対1の良さもありますが、子ども同士の関わりの中で刺激を受けたり、多様な大人と関わったりすることも大事だと思っているからです。特に小学生は。支援者の年代は幅広く、高校生から会社をリタイアされた人まで、多種多様な人たちが参加してくださっているのは強みです。
それから、中学生、特に受験生が増えた時は木曜日夜に「木曜学習広場」という名の教室を開いたこともありました。平成20年、2008年のことです。「高校受験まで時間がないから、もう少し勉強を見てあげる時間が欲しい」と支援者の中から声があがり、新しい教室の開設準備に入りました。新規の教室開設には「人の手当て」と「資金の手当て」が必要でしたから助成金の申請をして、その助成金が通ったので安定的に開催できました。
余談ですが、このころから意識的に多様な助成金に申請するようにもなりました。教室開催を支援してくれる助成金もあれば、教材作成などのプロジェクトを支援してくれる助成金もあります。今まで活動資金の多くを助成金に頼っていました。
- 教室に来る子どもたちは、どんな国から来ていますか。
開室当初も今も、中国、台湾の中国語圏の子どもたちが多いです。ほかにはタイ、フィリピン、ブラジル、ネパールなどの国から来ている子もいました。中国ルーツの子どもたちが多いのは、横浜という地域性もあるでしょうし、中国語を話す子どもが多いことで、学校とは違って母語で自由に話せる場の安心感があることも要因かもしれません。
- 土曜教室に来る子どもたちは、何人ぐらいですか。
子どもの人数は増えたり減ったりを繰り返していますが、コロナ前のピーク時は一回の参加人数が38人という日もありました。必要としている子どもがいれば、放っておけないので…。もちろんコロナ禍には過密を避ける必要があったので、予約制にして人数制限をしていましたが、今年の夏からは以前と同じ状況が戻ってきています。コロナが落ち着いて来日する外国人が増えたことがわかります。
中国の学校は9月始まりなので、学年が終わった夏は特に急激に来日者が増えます。最近の教室では、コロナ禍に始めたオンライン教室とあわせて30人の子どもが参加した日がありました。
【写真】地球っ子教室の様子
- 20年間、様々な出来事や環境の変化があったと思いますが、印象深かったことは何ですか?
やはり3.11。2011年3月11日の東日本大震災のときですね。発生は金曜日午後でしたから、翌日の土曜教室のお休みを伝える電話を手分けしたりして…。中には、急いで帰国すると言って家族と空港にいた小学生もいました。日本の状況が報道され、原発事故もあって一時期は参加する子どもが減りました。
震災が、もし教室のある土曜だったら?と、教室運営をするうえで、真剣に子どもの安全と安心を考えるきっかけとなり、参加する子どもには保険に入ってもらうことにしました。今は保険に加えて、参加予約・保護者の送迎もお願いしています。安心・安全は何より大切です。
- コロナ禍も、大変でしたよね。
はい、本当に大変でした。活動拠点である県民センターが閉館して対面教室が開催できなくなったので、これを機にオンライン教室の方向性を模索しました。支援者でオンラインのスキルアップ研修会をして、Zoomでの学習支援ができるように、共有画面で見せるスライドの教材が作れるように、勉強しました。
【写真】オンラインスキルアップ講座の様子
2021年は新春早々にコロナ蔓延防止法により再度、県民センターが閉まることになった衝撃は大きかったです。その時はオンライン教室に完全移行したのですが、最初はオンラインに慣れていない人が慣れている人とペアでブレイクアウトルームに入るなど、工夫をして慣れていきました。
最終的には皆さんがオンラインでの教室活動ができるようになりました。何でも慣れ、ですよね。開始時はZoomのズの字も知らない人が多かったのですが、よくぞここまでやってこられたな、と。支援者の熱意を感じました。このオンラインでの経験が、後で言うオンライン教材作成の活動につながります。
- オンライン教室を始めるのはハードルが高かったと思いますが。
はい、オンライン教室なんて、想像もしていませんでした。それでも、子どもの学習の機会を減らしたくないという思いから挑戦しました。その思いを形にできる救世主が現れたおかげでもあります。その年に参加した*ALIVEプロジェクトで現役社会人と接することで、オンライン手引書ほか、オンライン教室実現へのアドバイス、最初の一歩のサポートをいただけたことが大きかったです。
それと同時に、リアルにITの進歩と活用されている状態を肌で感じられたことは、コロナ禍に日常になったオンラインミーティングにもつながります。議事録を紙にメモするのではなく、みなさんPCを打ちながら話し合っている…そんなことから、社会の変化を感じ、自分たちの変化の必要性を感じました。
現在は、対面での教室が復活していますが、保護者の送迎の都合で教室に通えない子どものためにオンライン教室も継続しており、子どもたちの学習機会を確保しています。
*ALIVEプロジェクトとは、企業研修の一環で、多様な企業からの参加者が、社会団体の課題解決に取り組む活動です。地球っ子教室を支援対象に選んでいただきました。詳しくはこちら。
変わったこと、変わらないこと
- 20年間を振り返ってみて、子どもの変化は感じますか。
子ども自身はあまり変わっていませんが、GIGAスクール構想により、小学生からタブレットを持つようになったので、教材は本に限らなくなりましたね。とはいえ、情報源がウェブサイトや動画になっても、文字を読むこと、文を読む必要性は変わらないです。むしろ今の時代のほうが読む機会は増えているのかもしれません。
- 外国につながる子どもたちの周りの環境は変化しましたか。
以前は、支援で学校に行くと、子どもの日本語が十分ではなくて授業を理解できないから「目いっぱい取り出し授業をしてください」と先生から言われたこともありました。外国につながる子どもたちの存在は、迷惑とはいわないまでも「お客さん」扱いだったんですね。
その後2017年に、横浜市には「ひまわり」という来日間もない子どもが通う日本語支援拠点施設ができました。地球っ子教室に来る子も「ひまわり」で勉強している子がいるので、まったく日本語が話せないという子どもは減ってきました。徐々に環境が整ってきている面はありますね。
- 子どもたちをサポートする支援者の変化はどうですか。
昔は「正しい日本語、美しい日本語」を教えようとしていたように思います。上から、というか、教えるほうが主体の方法でしたね。今は「正しさ」というより、コミュニケーションの中で子どもたちが日本語を学ぶことを大事にしています。子どもの言うことが不完全でも、歩み寄って言わんとすることをくみ取ろうとする人が増えました。
正しさにこだわるのではなく、伝える・伝わることを重視する時代の流れもありますし、日本語教育全体の変化でもあるのでしょう。地球っ子教室の中でも誰かが音頭をとったわけでもないのに、徐々に自然に変わってきたように思います。
変わらないことは、子どもたちを応援したいと思ってくれる人が常にいてくれることです。20年前から今まで、ずっとそうです。一人でできることではありませんから。地球っ子教室をあらゆる方面から支えてくれる人がいるから続けてこられました。
【写真】スタッフと談笑する辻さん
- 地球っ子教室が20年たっても変わっていないことは何ですか。
子どもたちにとって安心できる居場所であること。それには、相手の文化を尊重することが大事だと思っています。支援者と子どもでも、子ども同士でも、です。今はインクルーシブ教育とか、ダイバーシティという言葉を耳にしますが、その言葉が出てくる前から地球っ子教室では大切にしていました。多種多様な人とのかかわりあいの中で成長していってほしいと思っています。
目の前の子どもの成長をサポートすることは、将来の社会を担う人材を育てることです。言葉の壁を乗り越えることで、その子の可能性を伸ばせるというだけでなく、育っていく過程で、お互いを尊重するという体験、自分を大事にしてもらったという経験ができる場であってほしいです。地球っ子教室での支援者や友達とのかかわりを、もしかしたら子どもは表面的には忘れるかもしれない。でも、その体験をするのとしないのでは、将来の何かが違ってくると思っています。そういう豊かな心をもつ人を増やすことが、よりよい社会を作る一歩だと考えています 。
参照▶【動画】外国につながる子どもたちの日本での毎日を想像してみる
うれしいことばかりではない…忘れられないできごとも
- この20年間で印象に残っている子どものことを教えてください。
特に印象に残っているのは、中国から来た子で、長年ピアノをやっていたそうなのですが、ピアノを日本に持ってこられなかったからと紙の鍵盤で練習していたことです。その子と高校見学に行ったとき、その学校にピアノの練習室があるのを見て、「先生、私はこの高校に入ります」と宣言した瞬間は忘れられません。その後がんばって本当にその高校に入学し、卒業後は音大に行きました。今も音楽の仕事で活躍していて、毎年コンサートにも招かれています。
▶参照 VOICE|地球っ子教室 : 陶 旭茹 (トウ シュール)さん
- 20年の中で、うれしかったことは何でしょう。
やはり、高校合格!ですかね。毎年、合格の知らせが届くのは、とてもうれしい瞬間です。ほかにも卒業生が、「今は薬剤師をしています」とか「銀行で働いています」とか連絡をくれると、ああ、社会で活躍しているんだなと、うれしく思います。すっかり親戚のおばさん目線です。
- 失敗した、と感じることもありましたか。
はい。今も忘れられないことがあります。中学を卒業して新しい高校の制服や体操着ほか、すべてそろえてもらってワクワクしていた子が、連休前の4月末に会いに来たんですが、暗い顔をして「学校をやめたい」という相談でした。それまでは明るくて、のんびりした温和な子の表情が一変していました。学校での「いじめ」がすさまじかったのです。
その状況から、いかにひどいのかは推察できたはずでしたが、当時の私は「高校は行ったほうがいい」と、なだめました。連休明けに彼は退学しました。その後、お母さんも相談に来て、彼の様子を話してくれました。泣きくずれているお母さんに、何と言っていいのか…かける言葉もありませんでした。
その後の彼は大荒れに荒れたようでした。国に帰っても落ち着かない様子で、祖父母にも迷惑をかけている…と彼のお姉さんが相談に来てくれたときに教えてくれました。私もどうしていいのか、わかりませんでした。お姉さんには「おうちがしっかりして彼を見守っていたら、いつか気づいて立ち直れるから」と根拠のないことを言いました。
きっとご家族も大変だったと思いますが、そのうち彼は苦難を乗り越えて落ちつき、日本に戻って中華料理店でコックをするようになりました。今では家庭をもち、お子さんもいるそうです。何の力にもなれず、本当に申し訳なかったと思っています。
子どもたちのためのイベントや教材作成も
- 普段の学習教室だけでなく、イベントもしていますね。
はい、特に毎年開催しているのは「漢字王決定戦」です。2007年から年に2回、10月と3月に開催しています。コロナの緊急事態宣言で2020年3月は中止しましたが、その後は土曜教室同様にオンラインのみの開催や、対面とオンラインのハイブリッド開催でコロナ禍も続けました。
これは漢字に親しんでもらおうというゲーム型のイベントですが、違う学年の子とグループになって問題に取りくむ時間です。普段とは違う友だちと接する機会にもなるし、対抗戦のようにもなって大変盛り上がります。このイベントでは、最後に子どもたちが好きなプレゼントを選んで持ち帰るのですが、そのプレゼントはすべてご支援いただいている方々から寄贈されたものです。
- 漢字王決定戦は、12月の寄付月間のイベントとしても開催していますよね。
はい、イベントの漢字王決定戦は12月の寄付月間の賛同企画として2016年から開催しています。子どもに限らず大人も、外国人に限らず日本人の小学生も、広く参加を呼びかけています。
コロナ以降はオンラインで開催しているので、県外はもちろん海外からも参加することができます。寄付月間のイベントとして開催することで、地球っ子教室の子どもたちのような存在を広く知ってもらうきっかけになっています。寄付というとお金のイメージが強いですが、参加するという寄付アクションもあります。イベントへの参加に限らず、Facebookへの「いいね」のアクションも寄付アクションの一つです。日本人が日常的にしている気軽なプレゼントのやりとりと同じですね。
▶参照(動画) 寄付月間2020オンライン漢字王決定戦(予告CM)
▶参照(FB) 地球っ子教室の最新情報がわかるfacebookページ
- 漢字王決定戦といえば、「もぐらん」というイメージキャラクターがいますね。
はい、実は今の「もぐらん」は2代目です。1代目の「もぐらん」はクーピーペンで描いてもらった素朴な味わいのあるタッチでした。今の「もぐらん」はゲーム漢字王決定戦をつくるとき、デジタル化する必要性があって、専門学校の学生さんに依頼したものです。
もぐらって、土の中で暮らしていますよね。それが地球っ子たちと重なったのでキャラクターにしてもらいました。自分の意思ではなく日本に来て、慣れない生活で、何もわからない日本語の中で毎日を過ごす子どもたちが、土の中から顔を出せるように、そんな思いがあります。
【写真】地球っ子教室のキャラクター「もぐらん」
- 教材作成もしていますよね。
はい、一つは文化庁の委託事業として形にしたものが2種類あります。『減災行動のススメ』という横浜市消防局の冊子 、『私たちのよこはま』という横浜市の小学校で使用する副教材を、それぞれ「やさしい日本語版」として作りました。学校に配布したり、図書館に置いてもらったりしました。
▶参照 H24「生活者としての外国人」のための日本語教育事業【地域日本語教育実践プログラム(A)】
▶参照 H25「生活者としての外国人」のための日本語教育事業【地域日本語教育実践プログラム(A)】
▶参照 ダウンロードできる教材:外国につながる子どもたちのための『わたしたちの横浜』
もう一つは、現在進行中のベネッセこども基金からの助成を受けているオンライン教材です。来春、NPOのホームページで公開する予定で、地球っ子教室の多くの有志の支援者で3つのプロジェクトに分かれて教材を作成しています。今では当たり前になったオンラインのおかげもあり、20:30開始のZoomミーティングが日常になっています。
- オンライン教材を作ろうと思ったのは、どうしてですか。
それはコロナ禍に必要に迫られたからです。というのは、オンライン教室では地球っ子たちに画面共有する教材が必要でしたが、公開されている教材には著作権による使用制限があったり、日本人の子ども用では難しくてそのままでは使えなかったり…一人ひとりちがう子どもたちに合ったものを選ぶのは難しい現実がありました。目の前の地球っ子に必要なスモールステップの教材を各自が自分たちなりに試行錯誤する日々だったんです。
そこで、自分たちの経験からオンラインで使いやすい教材を作るだけでなく、公開して外国につながる子どもたちの学習サポートをしている方々に自由にカスタマイズして使ってもらえるようにしようと考えました。教材を知ってもらって、支援者の方々が取り組みやすいようになれば、多くの子どもたちが学習支援を気軽に受けられるようになるんじゃないか、という思いもあります。
- 公開予定のオンライン教材について、もう少し教えてください。
オンライン教材のネーミングは「もぐらんワーク」にしました。漢字王決定戦のキャラクター「もぐらん」です。
3つのプロジェクトで進めている教材を3種の教材にまとめています。「もぐらんとあそぼう」は漢字の学習につながるように、「もぐらんとよもう」は物語の音読につながるように、「もぐらんとまなぼう」は日本語・教科の学習につながるように進めています。来年度以降も少しずつ増やしていく予定です。
▶もぐらんワーク(https://chikyu-gakko.org/moguran/)
現在、そしてこれからの地球っ子教室
- 20年目である2023年、どんなことがありましたか。
5月にコロナの規制が終わって、新規の子どもたちの登録が増えています。世間でも通常のイベントが戻ってきたと思いますが、地球っ子教室でも10月には久しぶりに対面だけのイベント漢字王決定戦を開催しました。テーブルを囲んでわいわいするグループワークでは、子どもたちの活気を肌で感じることができて嬉しかったです。
それから長年の構想を実行にうつした「もぐらん通信」を今年から毎月発行しています。地球っ子教室での子どもたちの様子を保護者に知ってもらうことはもちろん、親子の会話のきっかけになればという思いもあります。日本語がわからなかったり、苦手な保護者にもわかりやすいように「やさしい日本語」でまとめ、中国語も併記しています。教室で子どもたちが何をしているか、どんな様子かが伝わるよう、写真も多めに工夫しています。
【写真】もぐらん通信第1号トップページ
- 地球っ子教室の将来は? これからどうなるでしょうか。
極端な話、地球っ子教室での学習支援が必要なくなる=行政や学校での対応で十分、という社会が望ましいとは思いますが、それは遠い話なので、地球っ子教室を必要としてくれる子どもいるかぎり継続していきたいです。
今後は日本社会の少子高齢化への対応としても、ますます外国人人材の受け入れを進める方向に行くでしょう。そうなれば当然、その子どもたちも増えていくわけです。彼らとともに多様性が織りなす豊かな未来を作れるかは、これからの日本社会の課題だと思います。
地球っ子教室ひとつでできることは小さいかもしれませんが、目の前の子どもたちに安心できる居場所をつくり、子どもたちの成長を見守っていくとともに、オンライン教材の公開のように教室の枠を超えた貢献もできればと考えています。今後とも応援をよろしくお願いします。
【インタビュー後記】金子聖子(地球っ子教室)
いつもの柔和な笑顔でたくさん語ってくれた辻さんでしたが、20年間、大変なことも山ほどあったと思います。今回のインタビューに際して、数人の支援者から「辻さんにききたいこと」を募集しました。複数の人からあった質問は、「始めたきっかけ」と「大事にしていること」。特に「大事にしていること」は日々の教室の空気からなんとなく感じているものの、こうして言葉として受けとめると、これからもしっかりと胸に刻んで子どもたちと接しようと、背筋が伸びる気持ちでした。