VOICE|地球っ子教室 : 鈴木 芹奈 さん
今現在地球学校に通っている人、これまでに通ったことがある先輩の方々から直接お話を伺うインタビュー企画、VOICE。
今回は、外国にルーツのある子どもたちに日本語を教える「地球っ子教室」に中学校1年生から通っていた鈴木芹奈(すずき せりな)さんにお話を伺いました。現在社会人となり総合商社にてバリバリと働いている芹奈さん。忙しい合間に、地球学校との出会い、成長の日々について伺いました。
- 芹奈さん、今日はよろしくお願い致します。
- はい、よろしくお願い致します。
- 早速ですが、鈴木芹奈さんは、2007年に生まれ育った中国から日本へ戻って来たとのこと。その経緯を教えていただけますか?
- はい、祖父が日本人なのですが、いわゆる中国残留孤児として中国で生活をしていたんです。それが2007年に家族全員で日本に戻ってくることになりました、私が12歳の時です。
- そうなんですね。最初は不安はありませんでしたか?
- 子供だったので、日本は地震が多いから嫌だ!と言っていたのが、ディズニーランドに行けるんだったら、別に戻ってもいいよ、なんて言うくらいで。笑 本当に大変さを知ったのは、実際に学校に通いはじめてからですね。
子供の頃から、物怖じしない性格だったと芹奈さん。はじめて地球学校に来た時も、両親を連れずにコーディネーターの方と二人で来たそう。
ハードな日々でも、地球学校があったから成長できた。
- 地球学校との出会いはどのようなものだったのですか?
- 最初は埼玉所沢で半年ほど帰国した他の家族と一緒に過ごした後、横浜に移り住みました。そこで中学校へ通うというタイミングで地球学校と出会いました。通訳の方がHPで地球学校を知り、紹介をしてくれたんです。日本の中学校へ通うことになり、通い始めたのはいいのですが、とにかく日本語を話せないですから、最初は大変でした。
たまたま選んだバスケ部が、朝は7時から夜の7時まで練習をする体育会系を選んでしまったこともありますが、ただでさえ、日本語がわからない状態なのに、先輩後輩という上下関係が厳しい部活を選んでしまったため、そこで本当に苦労しましたね。
- そうだったんですね。それは苦労しそうですね。
- そうなんです。先輩を立てるということ自体、知らないですから。笑 ただ、私も負けん気だけは強かったので、いじわるされても、私をやめさせようと思ってしていることだとしたら、3年間辞めずに部活をやり通せたら、私の勝ちだと勝手に解釈して。笑
そういう意味では、日本語を学ぶというより、部活や日々の学校生活のために、生きるために必死で語学を習得していったんだと思います。
- そういった状況の中で、地球学校での時間はどうでしたか?
- 最初の半年間は、本当に基礎的な日本語を学ぶためのカリキュラムでしたね。私がすごくラッキーだったのは、そこで信頼できる先生と出会えたこと。足立貞雄先生というのですが、中学2年生からずっとマンツーマンで教えていただけました。
有名国立大学卒という方で、教育そのものを本当に大切に考えている方でした。基礎的な日本語を学ぶだけではなく、実際に中学校の授業で使う教科書を使って、国語の現代文や古文を1から教えてくれました。おかげで、学校で学ぶときには一度習ったことを復習するような状態でしたから、成績もどんどん良くなりました。中国では90点以上が当たり前だったのが、日本に来て最初のテストが33点、、、自分にとって衝撃的な数字でした。それが、2年生の頃では95点を取れるくらいまで理解が進みました。
- すごいですね。でもいきなり基礎的なことから、難しい文法や古文を学ぶのは大変そうです。
- そうですよね、最初から学ぶのであれば簡単も難しいもない、レベルの高いところから教えよう、それが足立先生のやり方だったんだと思います。
わからないことは、なんでも質問をする子供だったので、とにかくなんでも質問をしていましたね。現代文や古文、日本語を学ぶだけでなく、いろんな勉強をする機会もここで学びました。毎回あたらしいことを学ぶことができて、本当に楽しかったです。
本当の自分と出会える場所。
- ただ日本語を教えてもらうという場所以上の何かが、地球学校にはあったんですね。
- そうですね。日本の社会は、出るものを叩くという側面もありますよね?
そういう意味では、本当に中学校生活は大変でした。泣きながら、学校に行くような状態で。
でも、毎週土曜日と木曜日の二日間、地球学校に行くのが本当に楽しかったんです。地球学校では、ありのままの自分を受け入れてくれる場所でしたから。高校受験の時は、どんな学校がいいのか?また自分の今のレベルに合うのはどこか?など、一緒に考えていただき、地球っ子教室としては卒業したあとも、足立先生には個人的にお世話になりました。高校生の頃などは、どんな勉強をしたらいいのか?読んでためになる本を教えていただいたりもしました。
大学受験の際にも、どんな学部がいいのか?など、本当に親身になって考えていただけました。
- 素晴らしい先生ですね。
- 大学に合格した時も、お祝いをしていただきましたし、学生時代に留学する際にもいろいろ相談をしたり。いろいろなステージで、どの道を進めばいいのか、アドバイスをいただけたのは本当に恵まれていました。なので、私も事あるごとに報告に地球学校に足を運んでいましたね。
- 今は足立先生も、地球学校を卒業されているんですよね。
- はい、そうですね。私のことを本当に孫のようと言ってくれていて。本当に感謝しています。
地球っ子教室を通じて、日本語だけではなく、さまざまな考え方や学ぶことの楽しさを知ることが出来たと話す芹奈さん。
言葉を学ぶことは、世界を広げること。
- 今、社会人になって、改めて日本語を学ぶことを振り返ってみて、感じていることを教えてください。
- 私の場合は、中学から日本へ来たこともあり、日本語がコンプレックスだった時期もありました。高校生の頃に自分のアイデンティティについて、迷っていた時期もあったんです。でも、その時にも素晴らしいご縁があり、信頼できる担任の先生に相談をすることが出来ました。その先生がおっしゃってくれたのは
「芹那さんは、自分のことをハーフだと思っていますか?そうではなくて、ダブルだと思ってみたらどうですか?」
と。中国の文化を持ち、そして今は日本の文化も理解して生きている。他の人たちが持てない2つのルーツを持っている自分を、もっと認めてあげたらいいのでは?それを聞いてから、視野がすごく広がりました。いろんな事をポジティブに捉えられるようになったんです。
それから大学へ進み、フィリピン留学やエストニアへの国際交流のプログラム、そしてドイツへの留学などを通じて、たくさんの国の、さまざまな価値観を持つ人たちとの出会い、私のバックグラウンドと向き合いながら、就活の時に将来どんな事にチャレンジしたいのか、じっくりと考える時間がありました。その経験から、それぞれの国と国を結んだり、ビジネスを通じて両者が発展していく事を手助けする仕事がしたくて、商社に就職を決めました。
言葉を理解する事で、多くの人たちと交流することができますし、そこから数多く学ぶことができると思います。あくまで言葉はツールとして、可能であれば、より良く学べる環境に身を置けるといいですね。もちろん、最初はすごく大変でしたが、私の場合は多くの方々とのご縁もあり、ここまで成長することができました。
- 先生たちが聞いたら、泣いてしまいそうですね。笑
現在は商社で、物流を通じて国と国をつなぐお仕事をされているとのこと。先生たちも芹奈さんの成長を本当に喜んでくれていると思います。
これから日本語を学ぶ人たちへのメッセージ
- 最後にこれから日本語を学ぶ人たちへ、何かメッセージをいただけますか?
- そうですね、今日は私の体験をお話させていただきましたけど、それぞれ皆さんの環境が違いますから、何が正しいということはないと思います。また、途中で挫折してしまう方々もいらっしゃることも理解しています。私の周りでもそういう方がいらっしゃいました。
私からのメッセージとしては、これから日本語を学ぶにしても、決して出来ない自分を責めないでほしいということですね。今現在の自分自身を認めてあげて、未来に自分が何をしたいのか?どんな事にチャレンジしたいのか?そこから、必要であれば、そのために言葉を1つ1つ覚えていく。その繰り返しで良いのではないでしょうか。
私も、ある日突然話せるようになったわけではなくて、1年ほど経ってから。中学2年生になってから、日常会話が続くようになって、友達が一気に増えたという経験があります。少し話せるようになると、間違った話し方をしたら友達がここはこう話すんだよ、と教えてくれるようになって。なので、諦めるのではなくて、毎日、毎週の積み重ねを1つ1つ続けていってほしいですね。
一週間に1時間、2時間でも時間を作る。できるところから、続けていければ大丈夫ですよ。
- 芹那さん、今日はインタビューありがとうございました。
芹那さんのお話は文字ではなくて、リアルに聴ける場があると、良いかもしれませんね。是非今度そんな機会を作れたらと思います。
- こちらこそ、ありがとうございます。私にとって地球学校はルーツですから。
何かあたらしいチャレンジをするにしても、軸があるとそこを土台にジャンプできる。常に後ろを振り返ったら、そこに居てくれる素晴らしい場所なんです。また時間が出来たら、子供たちにも日本語を教えにちょくちょく来たいと思います。
今日はありがとうございました。
中学生の頃からお世話になっている辻先生と、理事長の丸山さんと3人で。「中学生の頃から芹奈ちゃんは大きかったね笑」と辻先生。