
【副理事長・廣瀬剛さん 退任のご報告】
2025年、地球学校はNPO法人として設立されてから25年目の節目を迎えました。この年のはじめ、1月に90歳の誕生日を迎えられた副理事長・廣瀬剛(ひろせ・つよし)さんより、理事会で退任の申し出がありました。
90歳とはいえ、廣瀬さんは今もお元気で、認知症のご様子もなく、現在も月に一度、刑務所内で篤志家として俳句教室を開催されています。「いつかはこの日が来る」と覚悟していたとはいえ、長年ともに歩んできた日々を思い出すと、笑い合い、支え合ってきた時間がよみがえり、侘しさや切なさ、物悲しい気持ちが胸に広がります。
5月25日に開かれた通常総会では、廣瀬さんはご自宅からオンラインで参加されました。副理事長としての25年間、地球学校の財務を一貫して担い続けてくださった廣瀬さん。この日も、第1号議案「決算書類」、第2号議案「予算書案」、そして今回の第3号議案「役員改選」のご説明・ご報告を最後まで務めてくださいました。そして、ご自身の退任を明らかにされた後、約7分間にわたり退任のご挨拶を語ってくださいました。その音声と文字起こしを、廣瀬さんご本人のご許可を得て、ここに記録いたします。
廣瀬剛さんから地球学校へのメッセージ(音声データ)
廣瀬剛さんから地球学校へのメッセージ(テキストデータ)
…私からはですね、立ち上げのころのお話をさせていただきたいと思います。
前、初代の理事長であります上原栄子さんを中心としてですね、その時からNPOにしたい、なろうというような考えをお持ちだったようなんです。 私は知らなかったんですが、熱心な方、上原さんを含めましてですね、講習会に出られましてですね、NPO設立講習会のようなことだと思うんですが、その時に終わってから上原さんが関係者の方にですね、細部のことをいろいろお聞きなさったらしいんですね。 そしたらその担当の方はですね、「あなた方は女性がこんなことをやるのは無理だよ」と、「そんなことしないで、とっとと帰れ」と、いうようなことでですね。それで、憤慨、鬱憤やる方ない形でですね、戻ってきたらしいんです。
そんなことは私は全然知らなかったんですけど、ある日突然ですね、上原さんからですね、百貨店のデパートの買い物包みのでっかいやつですね、あれ2つにですね、NPOに関する書類を持ってきて、「あんたこれやってよ」と、こう言われたんですね。 で、1つだけ条件があると、それはモットーとしてですね、「みんな違ってみんないい、国を越えて人と人をつなぐ」これをモットーにしたいと、これだけ私は言っておくからね、その他のことはみんな自分でやってよと言って。 で、その時私はNPOって一体何なのか、何の省略なのか、NGOとの比較、それもわからないような状態でですね、本屋に行ってですね、非営利活動促進法というものに基づいてNPOがなっているというその法律をですね、立ち読みしたような状態だったんです。 で、それでもですね、自分一人ではとてもできないということで、たまたま教育講座で一緒だった森本文男さんという、この方は後に地球学校の理事になられた人なんですが、その人を引きずり込んでですね、手伝ってくれよということでですね、一年がかりでNPO設立の書面を作りました。 で、例えばその書面の中の一つは、NPOができてから3年後、1年目、2年目、3年目の計算書を作りなさい、となっている。今から作るというのに3年後までのですね、1年ごとの計算書を作るなんて、そんな馬鹿なことできるかと言って、 それで当時の県庁へ言って話したことがあるんですが、まあ適当に作りなさいよ、というようなことでですね、じゃあ適当に作らせていただきましょう、というようなことであったにしても、なんか全く嘘でたらめのものを作るわけにはいかない。 まあそういうようなことでですね、森本さんは経験をなさっていたということもあってお願いしたというようなことがあります。
それで、25年を振り返りましてですね、いったい地球学校に何が残ったのかということなんですけれども、先ほどもありました財産というのはですね、正味財産は今年度で550万円ぐらいですね。 25年かかって550万円かと、1年22万円じゃないかと、少ないんじゃないかというような趣旨もあるかもしれませんけれども、こういう見方でこのNPOを見るということは私は間違いだと思うんですね。 で、もう多いか少ないかというのは、営利団体である例えば株式会社とかそういうようなところについて損益計算書でですね、その収益がどんどん増えていくことを目的にした団体であるのならばいいけれども、我々の場合は非営利なんですね。 で、非営利というのはですね、そういうようなものではなくて、活動結果これだけが賞味財産として残っておるという、単なる数値であると、活動の内容はまた別だというふうに思います。 そういう意味ではですね、我々の場合は地球っ子教室と、それから日本語教室、多文化交流と、この3つの事業の内容をですね、もっともっと内容を深めていかなきゃいけないんだと。
で、先ほどありましたように、我々の財産というのは、この表面には出てきませんけれども、私は2つあると思う。 1つはですね、人材の豊富さ、もう1つはですね、事業活動をするにあたってのノウハウの蓄積、これだと思うんですね。 このことをですね、例えば日本語教室、地球っ子教室に当てはめますと、内部の毎月の研修会、こういうのがですね、どんどん中身を深めていって、そういうものを蓄積していくのが地球学校の財産である、正味財産だと、表には出ない財産だろうと、こんなふうに私は思います。 ですから、この550万が少ないとか多いとかというのは、それは結果論であってですね、事業活動をした結果、こういう形になっておると。もちろんここに出てくる財産が増えれば増えるにこしたことはございませんけれども、私はそういうふうに思いますね。
そういう意味ではですね、先ほどから言っております上原さんが言った「みんな違ってみんないいと、国を越えて一つ一つをつなぐ」という、こういうことを常にモットーに置きながら、困った時でも、あるいは壁にぶち当たった時でも、そういうことを念頭に置きながら、 今後25年続けていっていただいたら、その25年後にどんな形になっておるかというのが非常に私自身は楽しみにしております。
以上をもってですね、感謝のお言葉とさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
2025年5月25日
廣瀬 剛(ひろせ・つよし)┃ 認定NPO法人地球学校 副理事長
1935年生まれ
富山県高岡市に4女4男の8人兄弟の8番目
電機メーカーを定年退職後、ボランティア活動に入る。
法務省篤志面接委員(横浜刑務所)
1男2女の父。妻と末娘の3人家族、横浜市港北区在住。趣味は
・真向法体操:1畳の中で道具不要の体操、肝心要の腰を強化
・俳句:六十の手習い。右脳を鍛え左右脳のバランスを図る。駄句1句紹介 “生涯を脇役として霞草”
ボランテイアとの関わり
定年後、体力に余力が有る間、微力ながら社会のお役に立ちたい思いから、Aカルチャーの日本語教師養成講座を受講。知人の紹介で、地球学校の前身ボランテイア団体「S会」に入会。1999年、S会が発展的に解消され、前理事長上原榮子氏ら同士と地球学校設立に参加。2000年に地球学校設立。2001年NPO法人地球学校設立登記。副理事長就任、今日に至る。
(現理事長からのメッセージ)